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話を聞いてみました。

06 吉村 洋三 Booth

自転車とともに生きる

06 吉村 洋三 Booth

自転車とともに生きる

[プロフィール]
吉村 洋三
CUEGO 代表 / 国際サイクル専門学校 学校長
CUEGO
HP:http://www.cuego.com/


1985年、私の産まれた年。
 
今回インタビューをする吉村洋三氏はこの年から自転車に関わる仕事をしていた。その歴、実に36年目。
 
自転車、それは日本人にとっては当たり前の様に身近にある存在、しかしその奥深さに魅了され、いまだにわからないことも多いという。
 
85年に当時21歳にして自身の自転車店を持ち、その後マウンテンバイクのプロチーム(アメリカ)で日本人初の専属メカニックを勤め、現在は国際サイクル専門学校という日本にまだ3つしかない自転車のメカニックを育てる学校の学校長をつとめながら自転車にまつわる人材紹介などを行う。
 
まさに”人生は自転車”と言っても過言ではない、そんな吉村氏に話を伺った。
 

出会い

吉村氏が競技用自転車と出会ったのは中学生の頃に遡る。
当時、親友から進められて乗りはじめたスポーツバイク。趣味として、そこから高校を卒業するまでの約6年間、自転車の楽しさに魅了された。
 
今ではその親友やその当時一緒に自転車を楽しんでいた連中の中で唯一自転車に関わり続けているのは僕だけだと笑って言う。
 
高校を卒業した後の吉村氏は、若干21歳にして自転車販売店の主人となる。
1985年、21歳の若者が自分の店を構えること自体がかなりのチャレンジだが、吉村氏は自分の興味について追求するパワーが人並外れている。自分がこうしたい、これを知りたいと思ったらとにかくやってみる。
 
そんなバイタリティは今尚衰えることなく、吉村氏の仕事の根幹、そして最大のストロングポイントとして輝いている。
 

攻めの決断

自転車店も経営として軌道に乗り、慕ってくれるお客さんもたくさんいた。
ただ、彼は自分のルールとして5年に1回、自分の能力を見つめ直すと言う。
 
自転車店を経営し始めて迎えた2回目のそのタイミング、自転車レースの世界大会で日本代表のメカニックを務めることとなり、その面白さと新しいチャレンジに魅了された。
 
とはいえ、自分が11年もやって来たお店。お店を畳むのは簡単だがそれをきっかけにお店に通ってくれている人たちが自転車から遠ざかってしまうのは嫌だった。
 
だから従業員に頼んでクラブチームもお客さんも引き継いでもらいたかった。
吉村氏は11年続けた自転車店の経営を従業員に託し、メカニックへのチャレンジを始めることになった。
 
どうせやるなら海外で。
 
そんな想いもあり、英語で必死に書いた手紙。それを知っている自転車チームの連絡先へとにかく送り続けた。
 
1チームから返信があり、無事アメリカへの道筋をつくることができた。
 
いざアメリカに渡ってみると異国の地でメカニックをやることの難しさに直面した。給料はドル払い、日本の家賃はどうやって支払うのかもわからなかった。
様々な理由があり、ビザはおりない。
メカニックは契約が1ヶ月単位、1ヶ月勤めて選手達にいらないと言われればすぐさま帰国。
とにかくギリギリの状態がつづく。
 
それでもなんとか1年間勤め上げ、日本のメーカーから声がかかった。
これでとりあえずは給料が日本円に変わった。
 
しかし観光ビザであることに変わりはなく、三ヶ月に一回は日本に帰るか、その他の国へ渡り、アメリカへ戻る。
 
そんな生活。
 
当時は911前だったので、近隣の国やヨーロッパに渡れば再度観光ビザは取得できたが、帰国する直前の2000年ごろはさらに厳しくなり、日本に帰らないと行けなかった。
 
飛行機が嫌いで、飛行機に乗る仕事だけはつきたく無いと思っていた20代から思うと、人生とはわからないものです。と笑顔で話してくれた。
 

メカニックとライター

アメリカではMTBのメカニックとして、たくさんの州を遠征した。その数実に31州。
 
知っての通りアメリカの大地は果てしなく広く、大きい。
端から端まで5000km、途中で二回時差がある。日本の大きさからは想像のできない世界だが、選手達を飛行機で見送ったらメカニックは車に自転車を積み込み、それを移動するのだと言う。
 
著者はロードバイクが好きでツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどの有名レースはTVで観覧することがある。
メカニックという仕事が如何にシビアで過酷かはなんとなくではあるがわかる。
 
ブレーキや変速ギアのちょっとした違い、ボルトの緩み、おそらく常人である我々が思う次元より遥かに細かいポイントに選手達は気がつくのだろう。
 
そのシビアさを日本人初のMTBメカニックとして体感し、成し遂げた吉村氏はこの時すでに日本人最高峰の自転車人になっていたのだろう。
 
当時、まだまだインターネットの普及していない中で、自転車レースを世に伝える人間が必要だった。
 
当然レースには常に帯同していて、言葉も話せる。選手を除けば一番レースに近く適任だった吉村氏はカメラマンと行動を共にし、ライター業も行うようになった。
 
98年、99年あたりはワールドカップの移動チームだったため、そこでリポートを行い、数を重ねるごとに技術的に「書く」ということを学んだ。
 
徐々に自転車パーツメーカーの記事なども書くようになった。
 
これまでの経験を踏まえればインタビューで何をどのように聞けば的確な記事になるかがわかっていたのでやりやすい仕事だった。
 
カメラマンを兼任できると、より効率よくライターの仕事ができるということで、カメラの勉強もした。
 
自転車店、メカニック、ライター、カメラマン、とにかく世界中を渡り歩き、様々な角度から自転車に触れ合う。自転車レースという特殊な、まるでサーカスのように拠点を移していく仕事、その一体となって過ごすこの期間は吉村氏にとって何物にも変えがたい、充実して濃密な時間だったのだ。
 

専門学校をつくる

吉村氏は現在、国際サイクル専門学校の校長を勤めている。
正式には国際ビジネス専門学校の中の自転車学校、同専門学校にはパティシエの辻口博啓氏が学校長を務めるスーパースイーツ専門学校などもある。
 
国際サイクル専門学校にあるコースは一つ、イオンバイク社員養成学科のみ。
もともと個人として人材紹介を行っていたイオンバイクとの提携により、自転車業界での雇用を安定的に作り出し、たくさんの若者を送り出している。
 
この学校で使用するカリキュラムも吉村氏がこれまでに経験した様々な技術が詰め込まれた実践的なものになっている。
 
開校に当たっては2013年の5月に構想がスタートし、当初は2015年の開校を予定していた。しかし、予定よりも大幅に早く作った全2000時間のカリキュラムの認可が一発で下りたこともあり、2014年の開校となった。
 
準備期間が一年少なくなり、学校の先生探しなどに奔走した。
半年という期間にも関わらず、準備は順調、いざ校長先生はどうするのか?という段階ではもう吉村氏を置いて他にはなし、という状態だったという。
 
そうして学校長として現在はいくつかの授業を持ちつつ、学校のある石川県金沢市と東京を行き来しているという。
 

講師として

専門学校の講師として、今は主に西暦2000年生まれの生徒たちを見ている。
自分にとっては2000年などついこの前の出来事。自分が自転車に関わった仕事をし始めてから数えても15年の月日が経った時代だ。
 
そんな若い世代に自分だからこそ教えられることはたくさんあるという。
これまで、自転車に関わった全ての場所の実践で学んだこと。
 
今の時代、わからないことはインターネットに聞ける。
しかし、その責任の無さから事実ではない情報も溢れかえっている。また一つの事案に対する解決策が複数見つかることもある。
そのいくつかの答えを並べて、どれが正しいのか?その問いにはなかなか答えられない。
 
しかし、実践経験や自転車の時代の移り変わりをその身で体験してきた吉村氏はいわば歩く教科書なのだ。
 
学校長として、その若者の問いに全て答えていく。
自分が先輩たちに教わったように、自分の知識を正しく継承していく。
 
それはここまでに自分の自転車人生の集大成の一つなのかもしれない。
 
また、今の生徒の親御さんたちは徐々に自分よりも年下が多くなってきているという。まるで我が子のように思える生徒たち。
 
イオンバイクの社員という道があり、もちろん、それ以外の道も良いと教えている。親子のように接し、素直にかわいいと思える。
 
吉村氏は優しい表情で話してくれた。
 

命を乗せる自転車

街の自転車屋さん、量販店、個人経営の競技専門店。日本には様々な形態の自転車店がある。
 
当然だが、自転車の種類も様々だ。
 
いわゆるママチャリ、子供用三輪車、シティサイクル、そして競技用など。
それぞれにフレーム形状や強度、素材などが違い、用途に合わせた姿形をしている。
 
例えば車、ファミリーカーとF-1。そこには当然、全く違った用途があり、想像するにその整備性やコストなども全く違ってくるのだろう。
 
生活上で使用する自転車、そして競技用自転車、そこにかける想いや技術に差はあるのだろうか。吉村氏に聞いて見た。
 
すぐに答えが返ってくる。
 
全く違いません。
 
三輪車であっても、ママチャリであっても、ちゃんと組まなければ人は怪我をする。最悪の場合も想定できる。
 
150万円のロードバイクも、1万5千円のシティサイクルも、気持ちを分けたことはこれまで一度もない。
それに乗る人がいる限りは手を緩めたりすることはない。
 
むしろ逆に100万円の自転車と10万円の自転車であれば後者の方が整備で差が出る。
また、値段が安ければその分素材の質が悪かったり、パーツの精度よくなかったりする。
 
三輪車の組み立てなどは学校でも最初は軽視されがちだが、実はとても意識を使う大変な仕事だということを学んでいってほしいという。
 
競技の世界に身を置いていてもなお自転車全てをフラットに考え、気持ちを込めることができること、吉村氏に”自転車を教える”という役割を依頼するということは他に選択肢はなく、最良の判断だったのだろう。
 

これからの自転車業界

自転車業界とモーターサイクル、カー業界は似ていると思う。
公平で丁寧、隅々までをフォローしてくれる素晴らしいお店ももちろんたくさんあるが、その中に潜む粗悪な店舗、また、中古車市場の拡大。
 
売買契約を結ぶところまでがサービスのピーク。一度売ってしまえばそれまで。
 
著者は自転車とモーターサイクルの両方を趣味としているが、このような状況を実感することは実に多い。
 
一般人にはわかるはずのない、潜んだ欠陥を見て見ぬ振りをして販売してしまうケース、納車予定日を過ぎてもなんの連絡もなく顧客の不安を煽るケース、挙げればキリはないが、安い買い物でない以上、多くの不満があると思う。
 
中古車が世に多く出回ればその分、新車は当然売れなくなり、実直に商売をしている優良なメーカーたちは経営が厳しくなることもあるだろう。
 
一律のサービスを望むユーザー側として吉村氏にその点を聞いてみた。
 
今後の構想として、お店側が物を売ってあげるのではなく、お客様に買っていただく、という意識をより浸透させていくことが必要だという。
 
その中で自転車に置いては、業界を代表する、と言っては大袈裟かもしれないがよりたくさんの人たちに自転車の魅力を伝えていきたい。
 
自転車屋さんではインターネットを利用した販売や、自転車のカルテの作成、ロードサービスなどを一律で設け、より安心・安全に楽しんでいけるような世の中にしたい。
 
そう言ったオンライン上でのサービスが今はない。だから作ってしまおうと考えています。
 
まだ、誰もやったことがないことだからこそ、気負わずに進んで取り組んでいきたい。
 
彼の事業をまとめるために作った会社CUEGOのCUEは行く・始めるという意味、GOはもちろん同じ意味。この二つを並べた意図は、とにかくやってみる。わからないこともやってみる。という自分自身のチャレンジ精神だという。
 
その精神を持って、まだまだわからないことが多いという自転車を突き詰めて行くという吉村氏の人生はこれまでも、そしてこれからも自転車とともにあるのだろう。
 

あとがき

大手スポーツバイク店、個人経営の自転車店、元プロチームメカニックの経営するスポーツバイク店。
 
私は自転車が趣味だったこともあり、様々な自転車屋さんを見てきたつもりだ。
どうして一つのお店に限らなかったのかというと、なかなか信頼して付き合える自転車屋さんに巡り合わなかったからだ。
 
最後に行き着いたのは自分の自宅から40kmほど離れた、神奈川県相模原市にある元プロチームのメカニックが経営するロードバイク専門店だった。
 
その店主は本当に自転車が好きで、好きで好きで仕方がないといった感じだった。
 
一度来店すれば頼んだ作業は全て全力投球、ギアの調整などは素人でもわかるほどにぴったり当ててくる。
 
作業後には店主、そしてその奥さんと談笑し、自転車談義に花を咲かせる。
決して大きなお店とは言えないが、とにかく信頼の置けるお店だった。
もちろん、これは理想であり、それだけではやっていけない実情を抱えるお店も少なくないだろう。
 
徹底的な作業の簡略化や高価格設定、作業などは言い値商売であるため、本当にお店によって質と価格が違うものだ。
 
安ければ良いとは思わないし、高ければ安心とも思わない。
その質に見合った価格設定が誠実になされているのかが重要なんだろう。
 
その意味では誠実に丹精込めた作業なら多少高額であっても納得できる。
 
今日、吉村氏に出会い、話をしていくうちに自分の自転車を任せることができる数少ない方だと感じた。
 
その吉村氏が育てるたくさんの生徒たちもきっと同じように愛情を持って自転車と接してくれるのだろう。
 
 
日本は自転車が生活に馴染んでいるとは言え、まだまだ趣味としての自転車が生きやすい環境ではないと思う。
 
それは上に書いたようなお店の問題もあり、道路などの問題もある。
 
それらを変えていき、もっと安全に、そして楽しく安心して自転車を楽しめる日本を見据えている吉村氏の今後の活動は、本当に多くのことをもたらしてくれるのかもしれない。
 

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